代わり映えしない日常

平々凡々な日々の覚書

ドラマのようだと思った瞬間

お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」

 

はじめて「お題」で記事を書いてみようと思います。

私の場合、「死ぬかと思った」じゃなくて「死んでいたかも」なんですけどね。

 

数年前、卵巣のう胞が酷くて右卵巣の摘出手術をし、無事退院。

だいたい退院から1~2週間は自宅療養をする人が多いらしいのですが、繁忙期だったのもあって、私は土日含めて3日で会社へ復帰。

今思えば、無茶なことをしたものだと思います。

退院からちょうど1週間後、私は職場で倒れました。

意識はなんとかあるのですが、話をするのも無理な状態で、人生2度目の救急車のお世話になりました。

救急車って乗せられて、体温や血圧を測ったりするのですが、何度も何度も体温を測られました。

後で確認したら低体温で体温が測れなかったようです。

ようやく測れて「35.2℃」って救急隊員さんが叫んだのをよく覚えています。

 

退院した病院に1週間で再入院。

検査結果は残した左卵巣からの大量出血。

一晩様子を見たものの出血は止まらず、むしろ増えているような状況だったため、止血の為の緊急手術となりました。

閉じかけている傷口をまた開くのか、と思うとなかなか憂鬱です。

しかし仕方ない。

止血の為の手術に臨みました。

 

術後、手術室で目覚め、ぼんやりとした頭で前回と同じように「ナースステーション前の個室で一晩療養して、大部屋に移動ね」と思っていたら、病室へのコースが違う。

前回はエレベーターを使ったのに、今回は平行移動しかしていない。

なぜ?

そしてちょっと狭くて、圧迫感のある個室に入室。

ベッドに移動、両手に点滴、心電図に酸素マスク。

見えないけど枕元からは機械音っぽいのが聞こえる。

ここ、どこ?

看護師さんが複数人で私のケアをしてくださる中、執刀医が入ってきて説明をし始めようとしたんだけど、その執刀医を後ろから押しやって母が泣きながら私に向かって叫んだのです。

 

「あんたっ! もう少し遅かったら死んでたかもしれへんねんで!」

 

後日、心身共に落ち着いたころに、主治医や執刀医、看護師さんたち、そして家族から聞いた話を総合すると、予想以上に大量出血をしていて輸血しないといけない状況。

止血後、各内臓を確認していたら小腸が1ヶ所壊死しているのを発見!(産婦人科医、見つけてくれてありがとう)

急遽、外科医を呼び出し、産婦人科医から外科医に執刀医が変更し、小腸を一部摘出(総合病院に入院していてよかった)

ついでに腹膜炎も起こしていたそうです。

まぁ、いろいろ大変だったようですが小腸に穴が開く一歩手前で手術が出来たので、私は生きながらえたそうです。

術後の家族への説明で外科医は、穴が開いて腸内のものが腹腔内に飛び出していたら救命する自信はありませんでした、と言ったとか。

 

術後、最初に入った個室はHCUだったと知り、すごく大事になっていたんだなって他人事のように思いましたね。

母の叫びも状況把握が出来ていないし、目覚めてすぐだったから、そうなんや、くらいにしか思わなかったし。

自分自身のことなのに、他人事のようにしか思えなかったし、今もリアルさはないんですよね。

ただ何度思い出しても、母の叫びや行動が「ドラマみたいやな」と思うですよね。

 

私の弟も死んでいてもおかしくない交通事故にあっているので、両親にしたら堪らないだろうなとは思いますね。

子供を二人とも失っている可能性があったってことがね。

 

余談ですが、弟が事故で運ばれた病院は某医療ドラマの監修を行った病院だったので、ICUに入った途端「ドラマと一緒や!」と思った思い出。