代わり映えしない日常

平々凡々な日々の覚書

インプットとアウトプット

私がブログを始めた理由の一つとして、自分の考えや思いを字数制限なく吐き出すことが出来る、というのがある。

短い文章の中でくすっと笑えたり、そうやなって同意したりできるのってセンスの塊だと思っている。

目指すはそういう短文でもセンスのある文章なのだけど、残念ながらそういうものは私のなかには見当たらない。

誤解されたくないから、余計な言い回しも増えて、本当に面白くない文章になる。

同じ面白くない文章なら、字数制限ない方がいいなってことで課金せずにブログに移るあたりが私らしいと思う。

納得できるまで、あまりお金を使いたくないんだ。

 

ブログを始めたら字数制限なく吐き出せるようになった。

ただし今度はまとまりのない文章になる。

あれも言いたい、これも言いたいになり、結局どうやって文章を締めくくったら良いかわからなくなる。

タイトルからかけ離れた文章になることもある。

文才がないにも程がある。

 

面白いなって思う文章を書く人は、いろんなことをインプットしていると思う。

書籍や映画、時事ネタ、動物や食べ物、日常生活のことなどなど。

とにかく興味の幅が広い。

その為か言葉をアウトプットした時、説得力もあるし、言葉のチョイスが面白いなって思う。

普段からそんなことを思いながら生活しているわけではないけどね。

 

今はインターネットのお陰で、すべての人が発信者になることが出来る。

リエーターにもなれるし、記者にもなれる。

ただ発信したものは自分の周囲で収まっているわけではなく、全世界に向けて発信しているんだよっていう意識を持っている人はどれくらいいるのだろうか。

まぁ少数派だよなぁ。

私もひとりごとをつぶやいているようなつもりで垂れ流しているし。

ただ誰にも拾われることないやろ、って思ってつぶやいたことに絡んでこられた経験もあるので、一応注意はしている。

好意的な発言は本当にありがたいけど、自己中心的な反論発言は正直疲れる。

終わったと思っていてもレスついた時の疲労感。

そんな経験もあるんで、余計にまわりくどい文章になるんでしょうね。

 

最近、心が疲れる発言をいっぱい見たり聞いたりした。

負の発言や文章をインプットすると、ダメージがとても大きい。

じわりじわりと心を蝕まれているように感じる。

負の考えをアウトプットしている人たちは疲れないのだろうかと不思議になる。

真実を知ること、伝えることは必要だろう。

でも憶測はいらない。

 

少しばかりネットから距離をおいてみた。

でもどうしても流れてくる情報。

ホントに疲れる。

ふと思い立ってKinKi Kidsの公式YouTubeを見に行ったら、コメント欄が応援の言葉で溢れていて、今回の騒動以降始めて泣きそうになった。

そうだよ、私はこういう話がしたかったんだ。

こういう応援の言葉が聞きたかったんだ。

私が求めていた言葉をいっぱいインプットすることが出来た。

KinKiさんの素晴らしい歌声もいっぱい聞いた。

私も推しやファンの皆さんが微笑むようなことをつぶやいていこうと思う。